【鴨居羊子という人】日本女性の下着に革命を起こしたその人物像とは

【鴨居羊子という人】日本女性の下着に革命を起こしたその人物像とは

ランジェリーショップに行くと、色とりどりの可愛いブラやショーツで溢れています。今ではすっかり当たり前ですが、以前はあり得ない光景だったことをご存じですか?

昭和前半の日本女性たちは皆、下着というものを意識せず過ごしていました。ましてや、ブラやショーツでオシャレをするなんて考えたことも無いという人が大半の時代。では、いつから現在のような可愛い下着が出てきたのでしょう?

その歴史をひも解いていくと、一人の女性につきあたります。それが鴨居羊子さんという人。

かなり魅力的で興味深い女性だったようです!女性下着の歴史を振り返りながら、鴨居さんの人生や下着への信念をちょっと覗いてみませんか?

昔の女性はどんな下着をつけていたの?日本の女性下着の変遷

かつて日本人女性は、みんな着物を着て日常を過ごしていました。そのため、昔の女性と、洋服が当たり前の現代女性とでは、着ける下着も全然違っていました。

いつ頃からどんなふうに女性の下着が変わってきたのか、まずはその辺りについて軽く知っておきましょう。

着物にノーブラ・ノーパンの時代

日本人の下着の始まりは卑弥呼の時代にさかのぼるようですが、今回はもう少し後の方からお話したいと思います。

古来から戦後までという長い間、日本人女性が当たり前に着物を着る時代が続きました。着物には腰巻や肌襦袢を合わせるため、ブラやショーツという概念がない時代が長く、日本女性はノーブラ・ノーパンが普通でした。

海外からショーツがもたらされても、着物だと下着の線が出てしまうため品がないということで、広まることはありませんでした。

また、バストの大きい女性は着物が着づらいだめ、さらしを巻いて胸を押しつぶしていました。

そして胸が小さい女性はそのまま肌襦袢を着ていたので、ブラジャーというものも必要なく、誰もそんなものはつけていませんでした。

日本女性の下着が変わるきっかけは「白木屋火災」

そんな中、女性下着が広まるきっかけとなった事件が起こります。それは、昭和7(1932)年12月16日、東京日本橋にあった白木屋百貨店で発生した火災です。

上層階から網にすがって脱出しようとした女性の何名かが、裾がめくれるのを気にして手でおさえるため、網から片手を離し墜落死しました。

火災による死者が1人にとどまったにもかかわらず、墜落死が13人もいたということから、当時の女性がほとんどノーパンだったことや、悲しくも女性としての恥じらいを命よりも優先する風潮が強かったことが推測されます。

この火災をきっかけに女性は徐々に下着を身に付けるようにはなってきましたが、一般的に普及するにはまだまだ時間がかかりました。

着物から洋装へ

女性が現在のような形のブラやショーツを身に付けるようになったのは戦後のことで、着物よりも洋装が一般的になってからのことでした。

洋服には肌襦袢などは合いませんし、胸を覆うためにもブラやショーツが必要となったのです。

しかし、洋装になってからも、下着と言えば「乳房バンド」「ズロース」などと呼ばれるもので、白の木綿やメリヤス素材が中心の素朴なものでした。

リボンやフリルなどの装飾や、カラフルな色付きの下着は、性産業の女性が着けるもので「下品」「ふしだら」というイメージが強かったのです。

ついに色付き下着が登場!

ヨーロッパでは昔から、下着は女性を彩るもの、自らを表現するものとして綺麗な色やデザインが当たり前でしたが、日本では上記のように、下着をつけない時代が長く、普及してからも白しかありませんでした。それどころか、下着に凝るなんてはしたないという意識が強かったのです。

そのような時代に、鴨居羊子さんという人が登場します。

昭和30年代初頭に、カラフルで装飾的かつ実用的な下着を作って世に放ったのです。そこから、現在の日本女性が当たり前に身に付けている、キレイで可愛い下着の歴史が始まったのです。

ええっ、着物の時代の人ってノーブラ・ノーパンだったの!?着物の帯は苦しいし、着るのも大変だし、しかも下着もナシなんて…今の時代に生まれてよかったよ!

着物から洋装になっても、世界ではカラフルでセクシーな下着が当たり前になっても、日本は質素なブラや下履きしかない時代がしばらく続いたんだね。

今は可愛いブラやショーツがいっぱいあって、それって幸せなことなんだね。もっと下着選びを楽しもうっと!

本当にそうよ。日本人女性の下着が可愛くなったのは、まだここ数十年間のことなのよ。

今では身体のラインが出る洋服が当たり前で、バストをきれいに見せる可愛いブラを選んだりしても、何の罪悪感もないわよね。でも、それが下品だと捉えられていた時代も、それほど昔でもないってわけよ。

せっかくこの時代に生まれたんだから、きれいな下着をつけられる女性であることを楽しみたいわよね。

強い信念と豊かで独特な発想…鴨居羊子さんの興味深い人生

最近の若い人たちには耳慣れないお名前かもしれませんが、今でも年配の女性なら「鴨居羊子」という名は、胸を躍らせながらキレイな下着を買いに行った甘酸っぱい記憶とともに思い出されるもののようです。

日本の女性下着に革命を起こしたと言っても過言ではない、鴨居羊子さん。いったいどんな人だったのでしょうか?

父の跡を継いで新聞記者に

鴨居羊子さんは、1925年の大阪で新聞記者のお父さんのもとに誕生します。お父さんのお仕事の都合で幼少期を金沢で、小学校5年生から女学校3年生までを京城(現在の韓国ソウル)で過ごし、再び大阪へ戻ります。

明治生まれのお母さんから、厳しく古めかしい躾をされながらも、好奇心旺盛で物語や絵をかくことが好きな少女に育ちます。

美術家を志しながらも、お兄さんの戦死やお父さんの病死という悲しい出来事を乗り越え、お父さんと同じ新聞記者になります。

最初は小さな夕刊紙、後に大手の新聞社に移り、刺激的で面白い人間関係を築きますが、「ものづくりがしたい」と思い立ち、新聞社を辞めます。

「チュニック」誕生!

鴨居さんは新聞記者を辞めて、すぐに下着づくりに取り掛かります。「ものづくりがしたい」と会社を辞めたのだから、お鍋でもおもちゃでもよかったと鴨居さん自身が言う中で、なぜ下着デザイナーとなったのか。

人間が動物と違うのは衣服を着るからで、その中で一番ヒフに近くて原初的なのが下着。人間を人間たらしめているものの中で一番肌に近くて、なおかついろんな感情を生み出し得るのが下着だと、鴨居さんは考えました。

「チュニック」というのが鴨居さんが作った下着屋さんの会社名ですが、この屋号にもそんな鴨居さんの哲学が込められています。

チュニックって、今では可愛くて体型カバーもバッチリの女性の服として定着していますが、元々は古代ギリシャやローマの人々が初めて着た貫頭衣のことなんです。

人が身に付けるものとしてもっとも基本的なものという意味もあるうえに、言葉の響きも可愛いということで、1955年(昭和30年)の冬、「チュニック」という下着のデザイン&制作会社が鴨居羊子さんによって誕生したのです。

日本初のカラー下着!

鴨居さんがチュニックを設立した約半年後の昭和31年7月、「もはや戦後ではない」というセリフが世を賑わしました。とはいえ、日本女性の意識はまだまだ保守的で、下着は絶対的に白でした。

そんな時代に鴨居さんは、紫、ピンク、緑といった色とりどりの、キラキラした装飾やリボンなどがついたブラやショーツ、スリップやガーターベルトなどを発表します。

そして、白のズロース一辺倒だった時代に、「スキャンティ」「ペペッティ」という可愛い言葉で女性下着を表現しました。

当初は斬新すぎてすぐには受け入れられず、鴨居さんは厳しいお母さんに下着を作っていることすら内緒にしていたほど。

それでも、個展をしてその下着に込められたスピリッツを理解してくれる人だけに売るという鴨居さんのやり方を高く評価する声も多く、チュニックの下着は徐々に広まっていきます。

鴨居さんが時の人に!

鴨居さんの情熱は、下着づくりだけにとどまりません。

下着を作るかたわら、フラメンコを習ったり、髪を金髪に染めたり、世界各地を旅行するなど、昭和30年代とは思えない自由奔放な生活を送ります。

鴨居羊子さんという人がいかに面白い人物だったかが分かるような気がしますね。

そのほかにも、絵画作品や人形制作にも精を出していました。チュニックのキャラクターも鴨居さんの描いた女の子の絵です。こうして鴨居羊子さんは、有名人となりました。

今も色あせない鴨居作品

そして、創作意欲は衰えぬまま、鴨居羊子さんは1991年に66歳でこの世を去りました。鴨居さん亡き後も、今に至るまで「チュニック」は創立当初の信念を継承し、下着はもちろんナイティや小物も販売する会社として発展し続けています。

また、鴨居さんは『下着ぶんか論 解放された下着とその下着観』や『女は下着で作られる』などの優れたエッセイの著者としても知られており、これらの著書は今でも書店やネット通販などで入手可能です。

その他にも、2010年には川崎市岡本太郎美術館にて『前衛下着道-鴨居羊子とその時代 岡本太郎・今東光・司馬遼太郎・具体美術協会』という展覧会が開かれるなど、鴨居羊子さんの魅力は今も色あせることはありません。

「下着=白」が当たり前だった時代にカラー下着を作って、展示会をして本当に気に入ってくれた人にだけ売るなんて、女性として、デザイナーとして、そしてビジネスウーマンとしても先進的なセンスを持った女性だったのですね!

下着づくりだけでなく、エッセイや絵画、小物づくり、習い事や動物とのふれあい等々、鴨居羊子さんってきっとすごく好奇心旺盛で可愛らしくもある女性だったのですね。エッセイを読んでみたくなりました!

「綺麗な下着は下品」という既成概念を打破!鴨居さんの下着哲学

鴨居羊子さんの生涯をざっと振り返ってみましたが、興味が湧いた方もいらっしゃるのではないでしょうか。鴨居さんが多方面の才能を持つアーティストであったことは間違いないですが、やはりここでは日本女性の下着に革命を起こした人という面に注目したいと思います。

鴨居さんが、下着づくりを通して表現したかった思いについて、考えてみましょう。

既成概念への反発

鴨居さんが輸入物のピンクのガーターベルトを買ったとき、お母さんに「お嫁に行くまでしまっておきなさい」と言われたというエピソードがあります。

これが当時としては当たり前の意識で、嫁入り前の生娘がカラーの下着を身に付けるなんてはしたないという考えが浸透していました。

このような、「女性の下着は白」ということに象徴される、女性は奥ゆかしいものという既成概念に、鴨居さんは反発します。また、メリヤスシャツとズロースの上にスリップやシュミーズを重ねて着るという、動きにくくて実用的ではない下着の着方にも、批判的な目を向けます。

当時は一応、高級な絹の下着もあることはあったけれど、お洒落だけど寒くて実用的ではないということで、一般に広く普及はしていませんでした。そこで鴨居さんは、きれいでお洒落なことと実用性を両立した下着は作れないものかと考えます。

このような反発心や既存の下着への物足りなさが、下着デザイナーとしての鴨居さんの出発点だったのです。

下着を通して訴えたかった想い

お母さんに「しまっておきなさい」とたしなめられたピンクのガーターベルトを、鴨居さんはもちろん箪笥になど入れず、翌日すぐに身に着けます。外側には黒い質素なセーターを着ていても、肌にきれいなピンクのガーターベルトを着けているというだけで、鴨居さんの心は踊ります。

スカートをパッとめくるとお気に入りの下着が目に入って嬉しいため、トイレに行くのも楽しみに感じます。こんな可愛い下着をつけているという、密やかな女性ならではの喜びは、今の時代の女性ならみんな感じていることですよね。

でも昭和30年頃の日本人女性は、そんな喜びを感じられる機会すらなかったのです。下着で自分を表現したり、気分を上げたりするという今では当たり前のことを、日本で最初にはっきりと目指した女性が鴨居羊子さんだったのです。

独特の販売方法

そんな反発心と理想を胸に、鴨居羊子さんはとびきり可愛い下着を作ります。

そうして出来上がった下着を、まずは個展を開いて見てもらい、実物を見て気に入った人に注文をしてもらうという方法で売っていきます。

鴨居さんの個展に来場したお客さんの中には、色付きで美しい下着をはしたないもののように扱う女性もいました。鴨居さんはそんな女性を「カマトト」とばっさり斬り、このような女性にはチュニックの下着を買ってほしくないと考えます。

大量生産ではなく、個展でチュニックの下着を見て、そこに込められた主張までを感じ取って理解してくれる女性にこそ売りたいという鴨居さんの思いによって、このような当時はあり得なかった販売方法となったのです。

当時から大手下着メーカーだったワコールとのコラボレーションも、お金が必要な鴨居さんにはおいしいお話だったにもかかわらず断ったというエピソードからも、彼女の経営理念がよく分かりますね。

下着を愛でよう!

白以外のカラフルな下着を初めて作ったのも、「スキャンティ」などの可愛い呼び名を与えたのも鴨居羊子さんであることは既にお伝えしましたが、チュニックの下着は一商品ごとにもすべてかわいい名前がついているんです。

可愛い語感の造語だけでは足りなくなり、都市の名前やお菓子の名前、いろんな国の王女様の名前などなど、あらゆるところからアイデアをもらい、下着のひとつひとつに名づけをしていったのです。

名前を付けるという行為は、親が赤ちゃんにするように、飼い主がペットにするように、愛しいものへ、その幸せや発展を願ってするものですよね。きっと鴨居さんも大切に作った自分の分身のような下着が、素敵な女性を幸せにしてくれるような一枚になりますように、と無意識にでも思ったのではないでしょうか。

下着への愛。そして、それを身に着ける女性に喜びを感じてほしいという思い。それが鴨居羊子さんの下着へのこだわりの基礎となっているんですね。

スキャンティって鴨居さんが作った言葉だったんだね!確かに「ズロース」「パンツ」よりも、「スキャンティ」「ペペッティ」の方がずっと可愛くて女の子らしいよね~。言葉にまでこだわって、とことん女性や下着を愛した人なんだね!

ただ可愛いだけじゃなくて、動きやすくてお肌に気持ち良い素材を使ってるとか、実用的なのもすごくいいね!

チュニックの商品はどこで買えるの?取り扱い店舗が全国にあります!

ここまでお読みいただいて、鴨居羊子さんの信念がつまった下着や商品を、ぜひとも使ってみたくなったという女性もいらっしゃるのではないでしょうか。そこで、チュニックの下着や雑貨を入手する方法をご紹介します。

チュニックの商品があるお店

チュニックの本社は兵庫県なので、直営店は関西地区だけとなっており、以下の2店舗があります。

  • 阪急三番街店(大阪府大阪市北区)
  • モンテメール芦屋店(兵庫県芦屋市)

しかし、その他の地域でもチュニックの商品を購入することは可能です。以下の百貨店のランジェリー売り場などにて、チュニックの下着や雑貨が取り扱われています。

  • 伊勢丹新宿店(東京都新宿区)
  • 松坂屋本店(愛知県名古屋市)
  • 名鉄百貨店本店(愛知県名古屋市)
  • 髙島屋大阪店(大阪府大阪市中央区)
  • 岩田屋本店(福岡県福岡市中央区)

これらのお店でチュニック商品の実物を手に取ってみることができますので、お近くの方はぜひ行ってみてくださいね。

自分のお店でチュニックの商品を売る!

ご自身が雑貨屋さんや下着屋さんをやっていて、「チュニックの商品を私のお店でも取り扱いたい!」という方もいらっしゃるかもしれません。

チュニックは、出展企業や出品者と小売店を仲介してくれる仕入れサイト「スーパーデリバリー」に出展しています。なので、このサイトを利用すれば、簡単にチュニックの商品を仕入れ販売することができます。

スーパーデリバリーは仕入れ会員登録が必要で、会費は月2,000円(税別)ですが、登録の翌月まで会費無料で利用できます。

こうして仕入れたチュニック商品を「フルフィルメントby Amazon」などを利用してネット通販でも取り扱ってもらえれば、実店舗が近くにない人でもチュニックの下着や小物を購入できるチャンスが広がりますから、一般女性にとってもうれしいことですよね。

鴨居羊子さんの思いを引き継いだ商品を見て買うには、大阪と兵庫の直営店があるほかに、東京・名古屋・福岡の3都市に取り扱い店があるんですね。その他の地域にも、これからもっと取り扱いショップが増えるとうれしいです。

それに、ネット通販でも買えたら、もっと便利ですよね。ネットショップをやっている友達に、チュニックの商品を仕入れてくれるよう頼んでみようかなって思います。

可愛い下着をつける喜び!鴨居羊子さんの恩恵を受け継ごう!

私たちが今、いろんな色やデザインの可愛い下着を当たり前に選ぶことができること。軽くて着け心地の良い素材で、一年中快適な下着を身に着けられること。そのおかげで、気分がウキウキしたり、女性ゆえの喜びを感じられること。

これらは皆、鴨居羊子さんのおかげでもあったんですね!

鴨居さんがチュニックを設立してから、今のようにカラフルな下着が普及するまで、平坦な道のりではありませんでした。それを思えば、やはり今の美しい下着を選べる幸せを堪能したいし、後の世代にも引き継いでいきたいですね。

私たちが今現在、可愛くてセクシーで機能的な下着を、たくさんの選択肢の中から選べるようになったきっかけは、鴨居羊子さんという女性にあったというわけね。

鴨居さんの作った下着はもちろん、人間として女性として興味深い人柄も魅力的よね。エッセイや伝記がいくつも出ているから、読めばますます女性であることや素敵な下着をつけることの喜びを感じられるわよ!