7/9は「ノーブラの日」!ブラジャーの捉え方の歴史的な変革
7月9日は「ノーブラの日」ですが、みなさんはご存知ですか?
これは2011年ごろに始まったばかりで、まだ馴染みがあるとは言いにくいですが、この日には「ブラから胸を解放しよう」「乳癌検査に意識を向けてもらおう」という意味が込められているそうです。
ここでは「胸を解放しよう」と言われていますが、そもそもブラは悪いものではないですよね。ブラには胸を守る働きがありますから、女性にとって必要なものです。
ですが、ノーブラデーで「胸を解放しよう」と考えられているように、歴史的にはブラを女性を拘束する象徴と捉えた時期もあるんですよ。そこで、ノーブラデーの考え方をきっかけに、ブラの捉え方の歴史的な変遷を見てみましょう!
「ノーブラの日」に込められた意味と参加法、ご紹介します!
最近になって作られたノーブラの日ですが、正式名称は「National No Bra Day」(国民ノーブラデー)と言い、アメリカで起こった運動です。
日本でも、芸能人が「ノーブラの日」に触れる発言をしたことなどから、広がりを見せ始めています。
では、そもそも「ノーブラの日」とはどのような意味を持つものなのか、参加したい場合はどうすればいいのか、詳しく確認しましょう。
「ノーブラの日」に込められた2つの意味
「ノーブラの日」に込められているのは、以下の2つの意味だと言われています。
- 胸を解放すること
- 乳癌検査の必要性を訴えること
胸を解放するというのは、単純にブラをしないでいようということではなく、ブラをしないことによって心の殻を脱ぎ捨て、本当の自分を解放しようという目的が込められています。
参加方法をご紹介します!
「ノーブラの日」の趣旨に賛同して、参加したいと思われたアナタに向けて、参加方法をご紹介します。男性はブラをしていないのだから当然と言われればそうですが、参加方法は女性と男性で違います。
性別 | 参加方法 |
---|---|
女性 | 男性 |
1日ノーブラで過ごすだけ | 紫色のもの(ピンクという説もあり)を身につける |
女性の場合は、参加したいと思ったら1日ノーブラで過ごすだけで参加したことになります。ちなみに、その場合には白いTシャツを着ることが奨励されています。
男性の場合は、例えば紫色のシャツやパンツ、ネクタイ、靴下などを身につけることで「ノーブラの日」に賛同していることを表すのだそうです。
男性が身につけるものの色には、ピンクという説もあり、公式ホームページとフェイスブックで発表されている内容が違うのが現状です。
ピンクの何か、という場合、乳癌に関する正しい知識を広めたり検診の受診を勧めたりする活動である、ピンクリボン運動をイメージした色だと考えられています。どちらかというと、こちらの方が「ノーブラの日」に込められた意味に合っていそうですね。
参加したい人は、女性なら7月9日をノーブラで過ごす、男性なら紫またはピンクのものを身につけて参加の意思を表せばいいと言いますから、簡単ですわね。
実は古い!古代ギリシャまで遡るブラジャーのルーツ!
実は、ブラの歴史はかなり古く、古代ギリシャまで遡ると言われています。ということは、その時代からすでにブラの必要性が感じられていたということになりますね。
では、昔のブラとはどのようなものだったのか、ブラのルーツからこれまでの流れについて確認しましょう。
ブラのルーツ
ブラのルーツとなるのは、古代ギリシャで使用されていた『アポデズム』と言われる布です。これは、小さな帯のような形をしていて、アンダーバストに巻き付けて使うものでした。さらにその後、細いリボンをウエストから胸まで巻きつける形に変わっていきます。
これらの下着が作られた目的は、胸が動くのを防ぐことです。この頃から、女性にとって胸を固定することは大切なことだったんですね。
また、帯やリボンの形をしているものだけではなく、現在のブラで言うベルトに当たる部分とストラップに当たる部分がある、現在のブラに形がそっくりの女性用下着が中国の遼と呼ばれる時代のお墓から見つかっています。
この下着には刺繍も施され、絹製だそうです。遼の時代と言えば、916年から1125年までの間です。それほど昔から、すでに今のブラジャーと形がそっくりの下着があったとは、驚きですよね。
1914年に特許を取得!現在のブラ
特許が申請されたのが1914年2月12日だったため、この日は「ブラジャーの日」として認定されています。
「ノーブラの日」と対照的な記念日があるのも、興味深いですね。
日本で初めてのブラ
日本では、和装が一般的だった頃にはブラをする習慣はありませんでした。その後、洋装が一般的になるにつれ、ブラをつける習慣もでき始めました。本格的に日本でブラジャーが広がりを見せたのは、第二次世界大戦が終わってからだと言われています。
日本で初めてのブラを作ったのは、現在の下着メーカーワコールの前身となる、和光商事でした。和光商事は1950年に初めてのブラを販売しています。1954年には、以下のようなブラを販売しました。
このブラが販売される前には、らせん状に巻かれた針金に、布がかぶせられた形のブラパットと呼ばれるものが売られていました。それが、1949年のことです。
これは、洋服を着た時に胸の形を綺麗に見せることを目的に作られたものです。胸を固定するという意味合い以外にも、胸を綺麗に見せる目的もブラに求められるようになったわけですね。
その後、現在のブラのように、洋服を着た時だけに関わらず、体型自体を美しく見せる役割も負うようになりました。
ブラの目的は女性を拘束することではありません!
先ほど「ノーブラの日」に込められた2つの意味のうちの1つは、胸を解放することだとお話ししました。それを読まれて、疑問に思われた方もいらっしゃるかもしれませんね。
それは、この言い方だと、まるでブラが胸を締め付ける悪いものだという印象を与えかねないからではないでしょうか。
それはその通りで、実際に、ブラは女性を拘束するものだという考えが持たれていた時期があるんです。ですが、ここまで確認してきたように、女性がブラをつけるのは必要性があるからで、決してブラは女性を拘束することを目的としたものではありませんよね。
それなのに、なぜブラが女性を拘束するというような考え方が生まれたのでしょうか。歴史的な背景を見ていきたいと思います。
昔の人も、胸が動くことが気になったのか。確かに、胸が動くとどうしてもそっちに意識が行っちゃうもんね。よく考えて作られてるんだなあ、ブラって。
1970年代には女性を拘束するとして焼き払われたことも!
ブラが敵対視され始めたのは、1970年代のことです。この頃、ウーマンリブ運動という、女性を解放しようという活動が起こったのですが、それにともなってブラが女性を構想する象徴だと見られるようになったという背景があります。
では、詳しく見ていきましょう。
ウーマンリブ運動とブラの関係
ウーマンリブ運動とは、女性であることを理由として受ける差別を撤廃しようとする運動のことです。同じ仕事ができるようにしたり、学ぶ機会を平等にしたりなどを目的に、運動が行われていました。つまり、男女間の差をなくそうとする運動ですね。
その中で、女性特有の下着であるブラに目が向けられました。
ワコールが、下着に対する女性の思いを社会科学的に検証することを目的として開設したcocorosというサイトで説明されているように、ブラはウーマンリブ運動の中で、女性を拘束する象徴とみなされ、焼き払われることもありました。
新聞にもたくさん集めたブラを焼く写真が掲載されたと言いますから、かなり大きな動きだったことがわかります。
また、そこまでのパフォーマンスはしないにしろ、ブラを着用しないという活動も行われました。
「ノーブラ運動」で変わった意識
ブラをつけないという運動は、実は女性たちに意識の変化を起こしました。ブラをつけないということは、これまで洋服を着る時に胸の形を綺麗に見せるなどの目的で使っていたブラをしない、つまり自分の自然な身体そのものを見せることにつながります。
それによって、ブラで整えるのではなく、自分の体そのものをファッションとして見せようという考え方が発生し、結果として女性の身体そのものに目が向くようになったという事実があります。
「ノーブラ運動」は続かなかった!
このように、悪意を持って捉えられたブラでしたが、ノーブラ運動は長くは続かず、後に沈静化しています。
沈静化しているとういことは、何か理由があってのことですよね。そこで、なぜノーブラ運動が沈静化したのか、その理由を見てみたいと思います。
その運動が続かなかったということは、やはりブラは必要だと思われたということを意味しているんですね。
「ノーブラ運動」は沈静化!理由はブラの必要性にあり!
先ほどご紹介したワコールのサイト、cocorosによると、「ノーブラ運動」が沈静化した理由がいくつか考えられています。
では、詳しく見ていきましょう。
体そのものに目が向くことで自信が持てない女性も!
先ほど、「ノーブラ運動」によって女性の身体そのものに目が向くようになったことをお話ししましたが、そうなると自信の無い人にとっては、あまり嬉しくないことになります。私自身、自分の胸に自信があるかと問われると、とてもはいとは言えません。
実際の調査でも、自分の胸に満足しているという人はあまりいないことがわかります。
1976年にワコールが東京在住の、大学生・OL・主婦の合計計300人に自分の体型の満足度を聞いたところ、バストについては「不満・やや不満」が45.4%、「非常に満足・やや満足」の11.0%を大きく上回っていたそうです。
この結果を元にワコールは、1970年代初期でも、同じような結果であると考えられることから、ノーブラ運動を歓迎できなかった女性も多かったのではないかと分析しています。
つまり、ブラは女性に自信を持たせてくれるものでもあるんですね。
身体に目が向いたことでブラの役割に変化も
女性の身体自体に目が向いたことで、ブラの役割が洋服を綺麗に着ることから身体自体を美しく見せることへと変わっていきました。
その目的を達成するために、現在となってはつける人の目的に合わせていくつもの種類のブラが用意されています。また、デザインも豊富になり、デザイン自体を楽しむ発想も生まれました。
フルカップ | 胸全体をしっかりと包み込み、バストアップ力が高く、安定感もある。 ボリュームのある胸や柔らかい胸の人に向いているブラ。 |
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1/2カップ | カップの上部分が水平にカットされている、胸を下から持ちあげてボリュームを出す。 |
3/4カップ | カップの上部分が1/4ほどカットされており、胸を斜め下から中央に向けて寄せる機能がある。 谷間を綺麗に見せたい人に向いています。 |
4/5カップ | 垂れてきた胸をしっかりと包み込んで、綺麗に見せる機能がある。 |
ほかにも、ワイヤーに圧迫されるのが苦手な人向けのノンワイヤーや、運動時に胸が揺れるのを抑えるスポーツブラ、丈が長くウエストニッパーの機能も兼ね備えたロングラインブラなど、様々な種類があります。
このように、より個人個人やつける場面に合わせて、胸を綺麗に見せる機能が取り入れられていることがわかりますね。
ブラには昔ながらの胸を保護する役目もある!
見た目だけの問題ではなく、古代ギリシャの時代からブラが必要とされていたように、ブラには昔ながらの胸を保護する役目もあります。
ブラをしていないと、以下のような問題が起こることが指摘されています。
- 胸が動いて行動しにくい
- 胸の形が崩れたり垂れたりする
- 胸が透けて見える
古代ギリシャのブラが、胸が動かないようにすることを目的に作られていたことからもわかるように、胸が動くと、歩いたり走ったりなどの行動がしにくくなることがあります。そこで、ブラをすることで胸が動かないようにするのです。
また、胸はクーパー靭帯というコラーゲンの繊維の束で引き上げられているのですが、これは一度伸びたり切れたりすると元に戻らない性質を持っています。原三信病院によると、クーパー靭帯は以下の位置にあります。
また、ブラをしないことで胸が透ける可能性もありますよね。そうなると、防犯上の観点からも良くないため、ブラをすることで胸を守る意味があります。
これらのことから、ブラは女性にとって必要なものだと言えます。そのため、「ノーブラ運動」が起こってもそれが長く続くことにはならなかったということですね。
ブラをつけることで胸を綺麗に見せる、か。適当に選んじゃダメなんだね。ブラの種類とか、あんまり意識したことがなかったよ。
体そのものに目が向けられると、どうしても自身がなくなってしまうけれど、ブラがそれを補ってくれると思うと、安心感がありますわ。
ブラは胸を守ってくれる下着!意味を知って大切に使おう
以上のように、古代ギリシャの時代から使われているブラは、以下のような意味を持っているからこそ、現在も必要とされていると言えます。
- 胸自体を綺麗に見せる
- 胸を保護する役割を持つ
女性特有の下着ということで、女性解放運動であるウーマンリブ運動の際には女性を拘束する象徴と捉えられることもありました。
しかし、その必要性が見直され、また服を着た時に綺麗に見せることから体自体を綺麗見せるものへと存在意義を変えながら、今も使い続けられています。
ブラはただつけるものではなく、必要だから使い続けるものであると考えると、もっとブラを大切に使おうという気持ちが感じられるかもしれませんね!
女性特有のものということもあって、ウーマンリブ運動の頃には迫害されたこともありましたけど、やはり必要だから廃れることなく今も使い続けられているというわけね。
ブラは私たち女性にとって大切な意味を持っているものだから、お手入れにも気を遣って、長く綺麗に使いたものですわね!